公開日 2020年04月07日
更新日 2020年04月07日
雫石街道の一里塚 (しずくいしかいどうのいちりづか)
【生森一里塚(北側)】 【生森一里塚(南側)】
【高前田一里塚(北側)】 【高前田一里塚(南側)】
【指定年月日】
昭和44(1969)年6月6日
【概要】
雫石街道は、江戸時代に、全国五街道のひとつである奥州街道の脇街道として整備され、「秋田街道」とも呼ばれた。盛岡と秋田を結ぶ最短路で幕府の巡見使の見分路線、御馬買衆の通路、両藩の物資の輸送、連絡道としても利用された。江戸時代の街道の両側には、主に松の並木が植えられ、36町(一里)ごとに方五間の塚を道の両側に築き、その頂上に松等を植えた。これを一里塚という。雫石街道の一里塚が築かれたのは、慶長9(1604)年以降、寛永17(1640)までの間と考えられ、よく原形をとどめている滝沢市の「日向一里塚」とともに、雫石町内では「生森一里塚」「高前田一里塚」が県の史跡に指定されている。
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