株式会社 みのり片子沢

雫石町の企業紹介

株式会社 みのり片子沢 代表取締役 根澤 將次、専務 三宅 博都

農業。この言葉から何をご想像するだろうか。多くの人が抱く“農”とは、清々しさを感じながら太陽の下で土をいじり、そして迎えるうれしい収穫。だが、自然相手である。厳しい現実も待ち受けている。まず、屋外での作業は、時期や天候によって大きく左右される。さらに、炎天下や岩手の厳しい冬の作業では、余分な体力を使うことを余儀無くされる。また、農地の確保や田圃の水利権など、新規参入者にとってハードルが高いイメージがある。実際、農業の人手不足が課題となる中、高齢化にともなう離農者が相次ぐ一方、なり手不足が叫ばれる状況が日本全国でみられる。さて、今回ご紹介する、町内大規模営農組織(株)みのり片子沢 代表取締役社長 根澤將次さん(73)が考える農業とは。

社名の由来

 「お米が秋に実る」。農村の一面に広がる田んぼが黄金色に染まる光景には感動さえ覚える。この収穫期を迎えた、頭を垂れる穂がおりなす情景、“みのる”という言葉を社名に付けたのは、一農家でもあり経営者でもある根澤さんにとって大切な意味を持つからだ。岩手県雫石町の小さな集落の名前とあわせた社名「みのり片子沢」には、ふるさとの農村で農業を営む根澤さんの思いが垣間見れる。「生まれ育った地元、片子沢の集落で親の代から引き継いだ米作り。この集落の農村風景を後世へつなげたい」。と語り始めた。

事業

田畑を荒らしたくなかった

 平成13年、根澤さん自身と片子沢集落の有志が中心となり、稲作生産組合を設立した。これは、これまで個別の農家が各々行ってきた転作から、集団転作による圃場の団地化およびコスト削減を後押しする当時の国策に沿った形だ。そしてその五年後、構成員と規模を広げ、28名からなる「片子沢営農組合」に形を変え、平成25年からは、現在の「株式会社みのり片子沢」となった。

 根澤さんは言う。「小学校のころから農業に携わってきた。見よう見まねで手綱を引いて馬を操り、田んぼを耕した。当時は、学業よりも農作業が優先される時代だった」。昭和50年、集落の担い手として農業を本格的に担うことになった根澤さん。「集落は、当時珍しかった大型トラクターを導入した。そして、自身も一生懸命働いた」と語る。しかし、朝から晩までどんなに脇目も降らず稼いでも集落から渡される手間賃は、変わらない。手弁当のようだったと振り返る。農業では食べていけないと、その頃感じてしまったと言う。

 根澤さんは農業から一旦離れ会社勤めを始める。しかしながら、親から田畑を引き継ぐと、会社勤めをする傍ら農業を再開した。理由は一つ、農村風景の一画を結果として担っていた自身の田畑を荒らしたくなかったのだ。

株式会社化

様々なことに挑戦したい

 農業法人は、基本的に農業に事業を特化した組織だ。事業登記の制約がある。一方で株式会社化すれば、農業だけでなく、様々な事業を広く展開できる。「様々なことに挑戦したい自身の性格にあっていると思った」と根澤さんは語る。農業以外の事業を行うことにより、リスク回避にもなる。例えば、冬寒く積雪のある雫石農業の課題の一つは、冬場の生業を確保することだ。みのり片子沢でも、除雪作業を会社で受託し、従業員の周年雇用を確保している。

出会いときっかけ

“できること”から始める

 2年前に新規就農者として入社し、現在みのり片子沢の取締役となった三宅博都(43)さんが根澤社長との出会いを語った。「私は平成28年、家族で雫石に移住し、最初に町役場農林課に非常勤(地域おこし協力隊)としてお世話になりました。町役場農林課に所用で訪れた根澤社長に声をかけてもらったのが入社のきっかけです」。だが、三宅さんは当初から農業に興味があったわけではない。根澤社長から、地域に深く根付いた土地利用型農業の存在を教えてもらった。根澤社長は農業の担い手を探していたし、三宅さんも雫石での次の就職先を探していた。そして、もともと地域との関わりに興味を持っていた三宅さんは、その農業に携わってみようと決断する。このタイミングでこういう話を頂いたことは、きっと何かの縁なのでしょうと、三宅さんは微笑む。

 三宅さんは農業を職業として選んだことについてこう続けた。「“やりたいこと”ではなく、“できること”から始めています。自分のやりたいことが地域(相手)に必要なことだとは限りません。その地域が求めていることは、その土地に住めば遅かれ早かれわかります。その地域が必要なことに自身が“できる”・“できない”かという思考の方が、例えば地域の課題解決には単直で,その中から”やりたい”ことは見つかるものだと思うのです。そして、農業を中心に発展してきた雫石では、農業の担い手不足は大きな問題です。みのり片子沢への就職は、地域に必要なことなのです」という三宅さんは、元は会社員。誰もが知っているアメリカシリコンバレーに駐在しながら巨大IT企業に対峙し、日米中を鞄一つで飛び回っていたそうだ。そしてなぜ雫石に移住した疑問が湧いて来る。「東京駅近くで、時間つぶしにたまたま話を聞いた“雫石移住体験ツアー”に参加したのがきっかけでした。雫石の人には、いつも怪訝そうな顔をされるのですが、初めて訪れた雫石の風景が純粋に素晴らしかったのです」。

広げたい

東京ドーム約20個 やる気があれば雇用する

 お米の栽培を中心に事業を展開しているみのり片子沢。地域の離農者の増加とともに耕作面積は年々増加し、現在では, 東京ドーム約20個分の100町歩ほどにもなる地域の圃場約500筆を管理している。従業員は10名。老若男女問わず雇用し、地域の雇用確保の一助となっている。農業も今は機械化で、場面にあった様々な免許が必要となる。なんと今は会社の全額費用持ちで、社員に各種免許取得を後押ししているそうだ。しかし、業務の拡大を行いたいが、新たな担い手を雇用することが課題の一つ。「今はどこでも人手不足。田舎の人の取り合いでは、格好がつかない。空き時間に、好きなだけ稼いでもらうのが、私たちの雇用スタイル。やる気があれば雇用し、新しい挑戦を一緒に頑張ってもらえる人は常に募集している。移住後の就職先として利用していただいても構わない。私たちのような会社を介せば、地域に溶け込むことも容易だろうし、きっと家を貸すという地域の人も出てくるだろう」と熱く語る

※1町は1ヘクタールに近い値。約10,000平方メートル。

体が資本

 体の不調については自分でもよく気づくという根澤さん。脳梗塞の予兆を自分で気づき、早期対処で事なきをえたこともある。体調や体力だけではなく、自身がかつて経験した「次世代への継承」についても考えている様子も伺える。「除雪作業も5年後には引退したい、逆走しかねないから(笑)」高齢者の高速道路逆走に例えて根澤社長は笑う。

 倉庫の電気配線などは自分で設置し修理もする。所有している大型のコンバインやトラクターなどの修理費用を抑えるために、大抵の修理は自分で行う根澤さん。「近い将来、自社で整備工場を持ちたい」。農協から買い取った自社ライスセンター(米の乾燥調製施設)は、地域農家が収穫した米も受け入れる。御年73歳の根澤さん。地域への思いが行動の原動力だ。

企業情報

会社:株式会社 みのり片子沢
所在地:岩手県岩手郡雫石町西安庭椛平498-2

現在従業員を募集中。
連絡先:019-692-0080
ホームページ:https://www.shizukuishi.co.jp/

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