雫石の歴史(2・町内の主要遺跡紹介)

公開日 2014年12月08日

更新日 2016年04月11日

町では、平成12年度から17年度にかけて町内遺跡詳細分布調査を行い、合計210ヶ所の遺跡の状況を確認・把握し、まずは基礎資料の整備と活用の体制が整っている。
ここでは、その分布調査と過去の発掘調査の成果をもとに、時代を追って主要な遺跡を紹介する。

 

(1)旧石器時代

板橋Ⅲ遺跡

平成17年度の調査で台形様石器などの遺物が出土し、炭化物の放射性炭素年代測定の結果、およそ32,000~34,000年前(暦年較正年代)の数値が得られた。編年から見た相対的な年代と自然科学分析による絶対的な年代が調和する例として、今後重要視されていくものと考えられる遺跡である。

 

(2)縄文時代

町内遺跡のおよそ8割を占める。草創期の遺跡は確認されていない。

 

早期:桜松遺跡

押型文土器が出土している。

早期~中期:仁沢瀬Ⅰ遺跡

平成10年の調査で前期前葉(大木2式期)の竪穴住居跡が検出された。

前期~中期:塩ヶ森Ⅰ遺跡

大規模集落。御所ダム建設に係る調査で、大型住居跡のほか、多量の土器・石器が出土。板状土偶が有名。

前期~中期:小日谷地IB遺跡

平成11年度以降の調査で、竪穴住居跡30棟以上、住居内に埋設された伏甕のほか、多量の遺物が発見されている。

中期:南畑遺跡

中期末葉(大木10式期)の集落跡である。

後期:大谷地遺跡

後期初頭の土坑や土器片が出土した。

晩期:桜沼遺跡

『岩手郡史』で「本郡稀に見る先史時代遺跡」と称され、昭和49年の発掘調査でも多くの成果が得られた。遮光器土偶(3点)を資料館で展示している。

 

(3)弥生・古墳時代

この時期の遺跡は非常に少ない。

 

弥生時代:伝久遺跡

昭和49年の調査で弥生時代の竪穴状遺構が検出されている。

古墳時代:仁沢瀬Ⅳ遺跡(当時仁沢瀬Ⅱ遺跡の呼称で調査)

平成3年の調査で土坑墓が検出され、黒曜石製の円形掻器が多数出土したことでよく知られている。

 

(4)古代

発掘調査の事例も少なく、詳細は不明な部分が多い。

 

籬野遺跡

昭和31年の調査で平安時代の竪穴住居跡が検出された。

仁沢瀬Ⅱ遺跡

大規模な集落跡と考えられているが、詳細は不明。

 

(5)中世

中世に属する遺跡は、ほとんどが城館跡である。

 

12世紀中?:戸沢館跡

南北朝時代以降?:雫石(滴石)城跡

16世紀:長山館跡

などで城主や沿革が伝えられている。
他には、昭和38年に発掘調査が行われ、寺社跡と推測された虚空蔵遺跡や、16世紀頃の墳墓と見られる安庭古墳などがある。

 

(6)近世

雫石街道(秋田往来)に付随する一里塚(生森一里塚・高前田一里塚・赤渕一里塚跡)のほか、近年の調査では上記以外の一里塚の存在も指摘されている。
その他、町内各所に石碑や五輪塔も残っている。

お問い合わせ

生涯学習課国体推進室(平成29年3月31日をもって廃止)
TEL:019-601-5395
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