雫石の歴史(1・歴史的沿革)

2014年12月8日

町内には、「しずくいし」の地名由来に関するものをはじめ、源義家や安倍氏、坂上田村麻呂、平将門など、古代の伝説が各所に伝わっている。
中世になると、各種資料の中に「しずくいし」の名が登場し始める(当初は「滴石」と表記されていた)。最初にこの地域を領有したのは戸沢氏と言われ、諸記録によれば、12世紀末頃、初代衡盛が移り住み戸沢(滴石)の姓を名乗ったとされる。南北朝時代には、戸沢(滴石)氏は南朝方に味方し、南部氏らとともに北朝方と争ったと伝えられる。戦国時代には、勢力を拡大してきた南部氏との抗争が激しくなり、1540(天文9)年、戸沢氏(一説には手塚氏とも言われる)の滴石城は、南部氏の攻撃により落城した。その後の混乱の中、滴石に入った斯波氏は、「滴石」を「雫石」に改め、自らも雫石氏を名乗り雫石城を復興したが、1586(天正14)年、南部信直の攻略によって城は再び落城した。 江戸時代に入ると、雫石地方は盛岡藩の広域行政区域「雫石通」となり、雫石村には代官所が設置され、雫石から角館・秋田へと通ずる雫石街道(秋田往来)は、幕府の巡見使が峠を越えるにあたって整備が図られ、藩境に近い橋場には御番所が置かれた。街道は、戊辰戦争の際には官軍の通り道となり、橋場では実際に戦闘が繰り広げられるなど、混乱の舞台となった。

近代への道を進む中、明治22年に市町村制の施行によって、雫石・御所・御明神・西山の4つの村が誕生、昭和15年には雫石村が町制を敷いている。その後、昭和30年4月に1町3ヶ村が合併し雫石町となり、平成17年には合併50周年を迎え、現在に至っている。